top of page

40 years of company

Seasonal Episode in HISTORY

s_014.jpg
top1

40 years of company

Begin

1980

1984

昭和55年〜59年

創業者は車好きから大学1年の時、大手中古車販売会社の販売委託をバイトで受け、大学で友人や知り合いに国産中古車を売りまくった。2年間で貯めた資金で、フェアレディ280Zを購入。エンジンをフルチューンした輸出仕様に仕上げ、その後高値で売却しカスタムに目覚める。輸入車に興味を持ち、環八外車街でアルバイトを始めた。そこで今後の人生を左右するといっても過言ではない車輌と出逢う。当時CMに起用されていた「BMWアルピナB7ターボ」だ。実際に乗る機会も得て感銘を受ける。ますます輸入車の世界にのめり込むこととなった。

280Z.jpg

アルバイトで貯めた資金をもとに「BMW 323i Hartge H3S」を購入。1983年排ガス・予備検査に関心を持ち、日本国内での排ガス規制改善の為の、予備検査専門の整備工場にも通い詰めながら、知識を養っていった。そんな折り、大手商社の海外駐在員と知り合う。のちにこれも運命を決める出会いだったのかもしれない。

PRO_011.jpg

ドイツ駐在の彼は、ドイツで1〜2年使用した中古車を日本へ輸出していた。日本に入港し、通関・排ガス・予備検の仕事をビジネスとして日本のナンバー登録の仕事をするかたわら、ドイツ駐在の彼が仕入れをしている金額(インボイス)を知ってしまう。衝撃的な事実を知り、自身で起業に目覚め、大学在学中に起業する。

1985

昭和60年

プラザ合意を契機に、固定相場制から変動相場制になり、急速な円高に進んだ。日本政府も経済対策閣僚会議で、輸入促進などを実行するアクションプログラムを示すことを閣議決定した。その結果、欧米からの輸入車の貿易が活発化した。直輸入車の改善と仕上げに関するスキルを向上させるため、カービューティープロの資格取得に取り組んだ

40 years of company

Getting

1986

昭和61年

有限会社クリスタルクリエイトを八潮市新町4番地に登記、輸入車の仕上げと磨きに特化した。大手輸入車代理店から技術を認められ、協力業者コードを取得。

並行輸入車の排ガス、改善、予備検査工場と提携。倉庫を改修し、磨き・仕上げの専門として輸入車業界へ参入。

1987

昭和62年

貿易商社現地(ヨーロッパ)駐在員の並行輸入車の改善、仕上げ・磨きシステムを構築。

1988

昭和63年

ポルシェ、メルセデスベンツの直接仕入れの為、ジェトロに登録。

1989

平成元年

単身でドイツ、イタリアを視察。

中古車店が多く集まる 独「マインツァーランド通り」

伊 ミラノ・スカラ広場

事業計画に伴い、八潮市新町の事業所を現在の八潮市木曽根に移転し、新事業所を建設。

1990

1990

平成2年

登記住所を現在の八潮市木曽根に移転。貿易事業を本格化させるために、再びドイツとイタリアを視察。これにより直接貿易が開始され、メルセデスベンツとポルシェの車輌の輸入を開始。

エッセンモーターショーにて

独 シュトゥットガルトのポルシェ本社

1991

平成3年

事業所・作業場を拡張し、輸入車の小売業を本格化させた。輸入車専門雑誌などの広告掲載も始め、輸入量を拡大。パーツ(ロリンザー、AMG、シュニッツァー等)を40フィートコンテナで大量に買い付け、業者卸しと小売業も本格的に展開した。販売屋号として「AutoProject-D」を立ち上げ、AMGやロリンザーのドレスアップを中心にメルセデスを核とした商品開発と仕入れを本格化させた。

1992

平成4年

長期間ドイツに滞在し、日本市場のニーズに合わせた商品開発を行っていく。AMG社のデモンストレーション用車輌を大量に仕入れ、輸出業者を介して日本への輸入を開始した。AMGモデルの知識と見識において、日本国内でトップレベルの知識を有し、複数のAMG社へのパイプを構築した。

AMGコンプリートカーの仕入れに注力し、AMGドレスアップカーのVersionモデルの販売をスタート。AMG社の研究を徹底し、AMGコンプリートカーを選定するため、ドイツ国内のメルセデスベンツショールームを詳細に視察。仕入れ業務は輸出業者に委託し、これにより1993年に新たな展開が始まった。

WA3_010.jpg
WA1_056.jpg

Visit to
Mercedes Benz
Showroom

1993

平成5年

AMGモデルの新車からのオーダーを開始。メルセデスベンツ社直系支社より複数のオーダーを入れ、日本の顧客ニューズに合ったオーダーシステムを導入。

出典:AMG社カタログ

1994

平成6年

AMG社の日本代理店から商標の取り扱いに関する疑義を受け、刑事手続となったが、独本国で弁護士を依頼し真相を追求する活動を開始。まもなく3ヶ月後、刑事手続は決着、風評による痛手を負ったが危機を回避した。長いものには巻かれるが良しとの教訓となった。災いが福となる形でお墨付きを得たこととなり、全国的に知名度が上がり、売上は前期比150%増となった。また、刑事事件後は、AMG社に以前と同じサプライヤー(輸出業者)から、オーダーを多数入れられる様になり、注文から納入までの時間が大幅に短縮されたことにより、メルセデスベンツ・ヨーロッパ限定モデルをベースに製作したAMGコンプリートモデル「E60 AMG Limited」は、爆発的な人気商品となり、バックオーダーは10ヶ月待ちとなった。新工場「ワークII」竣工。

爆発的な人気商品となった「E60 AMG Limited」

S_015.jpg

新工場「ワークII」

1995

平成7年

新車からのオーダーで、スペシャルAMGモデルをラインナップに追加し、メルセデスベンツR129 500SL、600SL、Sクラスの受注が大幅に増加した。前年に比べて売上は180%以上伸び、記録を更新。新工「ワークII」も稼働し、ペイントブースも備えられた。さらに、AMG SL600 7.2 V12 525psの受注にも成功し、日本へのデリバリーが行われた。

500CE 6.0 WideVersion

ペイントブースも備えた「ワークII」 

1996

平成8年

メルセデスベンツのモデルチェンジに伴い、新たな仕入れ方法を考案。メルセデスベンツ社の独国内主要都市の大手支社に、オンリーワンの商品開発を仕掛ける。日本市場の活性化を鑑みて、AMGモデルを更にモデファイ。E50 AMG ワイドバージョンを完成させ、専門雑誌にて発表し、発売開始。大好評となり、「AutoProject-D」のブランディングが確立された。

板金・ペイントセクションを完全子会社化し、「有限会社オートレボリューション」を設立。

雑誌「GENROQ」に広告掲載開始

1997

平成9年

ポルシェカップレースに参戦する独ポルシェ支社との協力で、コラボモデル「993ターボS GT2バージョン」が発足。同時に、独DTM参戦とのジョイント企画も構想し、CモデルのDTM バージョンを発案。しかし、独カールソン社に受注を依頼するも、メルセデス社の承認が得られずに断念せざるを得なかった。一方で、CL600 6.0 V12 440psをカブリオレモデルとしてコンプリート化し、これを日本にデリバリーすることに成功。

Porsche 993 Turbo GT2

Carlsson Factory

CL600 6.0 V12  440ps  Cabriolet

1998

平成10年

作業場面積が495㎡となる、ペイントセクション「ワークII」を大幅に拡張し、キャリアカーも2台設置した。特別仕様のキャリアカーは、低重心車輌の陸送を専用ドライバーとすることにより全国内での引き取り、納車が可能となった。また、独カールソン社の特別オーダーモデルC74 SL V12 580ps「SL74 スイッチトロニック式6速」をデリバリー。他にもカールソン「C38 CLK ワイドバージョン」「SLK C25」など、次々とカールソンモデルを日本市場に導入し、販売は順調に伸び、車輌売上は17億円弱に達した。さらに、メルセデスベンツやポルシェに加えて、フェラーリの輸入も開始。販売拡大に対応するため、メルセデスベンツ社のテスター機器をアフターメンテ用として導入し、独本国より技術指導の指導員を招致。また入手困難なモデル「ランボルギーニディアブロGT」を4ユニット獲得した。

WORK II & CarrierCar

Carlsson C74 SL V12

Carlsson C38 CLK WideVersion

MercedesBenzハンドヘルドテスター
「HHT」

Lamborghini Diablo GT

1999

平成11年

年商50億規模を目標に設定。車輌の保管スペースも考慮に入れ(1台あたり平均2,000万円以上の車輌を取り扱うため)空調設備を完備した保管スペースが必要と判断。同時に、新事務所の設計にも着手し、翌年の完成を目指す。モータープールの屋根は全て鉄骨で設計し、建設費用を全て自己資本とする新社屋のプロジェクトが開始された。 メルセデスG55L AMGモデルをプロデュース。

Mercedes-Benz G55 L AMG model

2000

2000

平成12年

AMGモデルがメルセデスベンツのライン化となったため、よりインパクトのある商品開発が必要と判断。このため、独ロリンザー社を訪問し、メルセデスベンツ主要都市支社とロリンザー社との業務委託を結び、「ロリンザーK50モデル」の輸入を開始することとなる。さらにAMGアファルタバッハスピリットの結晶であるM120 V12モデルの「SL73」を5台受注。

Head Office          Germany Vinenden
Establishment       1930
Type of industry    manufacturing industry
Business    Manufacture and  sale of automotive parts

image.png

Limted

SL73  M120  V12 model

フェラーリF360ハーマンは市場ニーズに応えるため、独自のプロモーションを展開して市場に供給する。 ベントレーコンチネンタルモデルに着目し、Tモデル「マリナー」を受注。 さらに「フェラーリF360 ハーマン」「ランボルギーニディアブロ」「フェラーリF50」「アストンマーティン」といったスーパーモデルの仕入れも拡大。

Ferrari F360 HAMMAN
Lamborghini Diablo GT
Ferrari F50

円高を追い風に、メルセデスAMG、ロリンザー、ブラバスのS、E、クーペ、ワゴンのワイドバージョンをラインナップ。G55 AMGカブリオレのカタログリスト外モデルのプロデュース、フェラーリF360にハーマン、ケーニッヒのモディファイモデルを追加し、ベントレーコンチネンタルTマリナーからアストンマーティンバンキッシュとバラエティに飛んだモデルラインナップを展開。

G55 AMG Cabriolet

2001

平成13年

2階建て380㎡の新社屋、約15台収納可能な空調システム完備の車両保管庫、30台収納可能な屋根付きモータープールを竣工。これにより自己資本プロジェクトの完成となる。

またこの年から為替のためのヘッジにて社内レートを一定に標準化するクーポンスワップを導入し、予想外の為替の変動にも備えた。年始には新社屋も完成し、新たな社員(営業4名、経理2名、秘書1名)が加わり、年商の目標に向け次年度計画を実行に移す。

image.png

HEAD OFFICE From the North

MOTOR POOL

A new 2-story 380 m2 building, a vehicle storage facility equipped with an air conditioning system that can accommodate approximately 15 vehicles, and a covered motor pool that can accommodate 30 vehicles.

HEAD OFFICE
From the Northwest

HEAD OFFICE From the West

MOTOR POOL

Lamborghini Diablo GTR

さらなるインパクトのあるモデル開発のため、独ブラバス社を訪問。メルセデスベンツ主要都市支社を解して商品戦略の実施を計画する。

Head office location       Germany             
                                    Bottrop, North Rhine-Westphalia
Establishment               1977
Type of industry            manufacturing industry
Representative              Bode Bushman.
Number of Employees    Approx. 350 persons

2002

平成14年

円高の恩恵により過去最高益を捻出。売上も右肩上がりで20億を軽々と超え、よりハイブランドな希少価値モデルの仕入れを目指し始めた。メルセデスS600プルマン(リムジーン)など難易度の高いモデルの追求を開始。また「オートプロジェクトD」の顧客層に有名人・著名人が多くなったことから、プレミアムモデルの仕入れルートを拡大。 決算では過去最高売上高を達成。自己資本比率は24%となった。アフターサービスに焦点を置き営業の一環として設備投資を積極的に行い、延床面積220㎡のメンテナンス及び重整備工場WORK Ⅲ(ワーク3)を着工。備品設備として、最新リフト3基、アライメントテスター、パワーチェックダイナモ等、総事業費1億円以上の設備を誇り、2003年に竣工。3〜4名のメカニックが従事することとなる。

40 years of company

Ups and Downs

2003

平成15年

輸入車メーカー各社による「世界統一価格戦略」が導入され、並行輸入車の価格差が大幅に縮小する。メルセデス、ポルシェ、フェラーリ、アストンマーティン、ベントレー、ランボルギーニ等営業戦略の見直しを図る。更に円安への警戒をすると同時に為替のリスクヘッジが3年で満了することに社内レートの見直しを。新たな商品開発に特化するとともに、経営の抜本的な事業計画を立てる。並行輸入車は冬の時期に突入した。

平成15年12月:三井住友銀行より150,000,000円の私募債発行

2004

平成16年

世界的な外資系金融会社と、為替のヘッジのための金融債権先物の取引を遂行する。中央区日本橋日本橋二丁目八重洲仲通り、東京駅から徒歩3分、新築ビジネスビル(日本橋タワー)8Fフロアに東京支社を設立。財務責任者としてメガバンク北米管理職者を採用。外国為替金融に猛進する。外資系金融会社ロンドン支社のクゥオンツ(金融工学士)によって新たなオンリーワンの金融債権先物の商品を開発した。 マンソリー、ベントレー、フェラーリ新型モデルF430の発表後、バックオーダー分8ユニットを輸出サプライヤーに発注。並行輸入の新たな販路を構築した。

平成16年1月:埼玉りそな銀行より50,000,000円の私募債発行

2005

平成17年

5月に大手監査法人と3年後の上場を目指し契約。カテゴリーは「輸入金融会社」。しかし大手監査法人が7、8月に業務停止命令を受け一旦停止。上場を目指し本社が賃借していた土地2,805㎡を自己資本で購入。分社化し、持株会社として「株式会社クリスタルインターナショナル」、小売部門を切り離し「オートプロジェクトD株式会社」、「有限会社クリスタルオートレファレンス」「有限会社オートレボルーション」を設立、5社体制とした。

株式会社MPデザイン社の仲介により独マンソリー社と 日本正規総販売元の権利を契約。
中央区日本橋の東京支社にマンソリージャパンを設立。

カタログリリース

広告出稿:株式会社三栄 GENROQ 2005年5月号

スペシャルインポートカーショー2006 出展

2006

平成18年

2007

平成19年

2008

平成20年

外資系不動産投資会社の助言により宅建協会加盟、宅建主任を設置し、新宿ショールーム同建物上階に「株式会社ブリリアアセットアンドエステート」を設立、不動産業に参入。

宅地建物取引業者免許取得:東京都知事(1)第88015

image.png

・英国ロンドンに新たなトレーディングを開拓。

・世界的な外資系金融会社から離脱、邦銀メガバンク3行と為替ヘッジのためのデリバティブ取引を開始。 ・米国有力金融会社紹介によるデリバティブ取引を開始。

新宿ショールームを山手通り沿いにオープン。東京支社を新宿に移転。

平成18年12月:三菱UFJ銀行より200,000,000円の私募債発行

AMGパフォーマンスセンターVIPセクションにて特別モデル複数ユニットを発注。

スイスの取引会社へ「アストンマーティンDB7ザガート」を輸出、輸出事業をスタート。

Aston Martin DB7 Zagato

為替のリスクヘッジにおけるリスクの保全として、投資不動産の調査を開始、収益物件プロジェクトを開始。 リーマンショックによる信用不安が市場に影響し、円高へのバイアスが強まることから、投資不動産の情報を国内大手不動産会社数社と協議。 不動産収益事業の研究と、低迷する建築業界を調査。建築資材の貿易として、ベトナム、中国の市場調査を開始。中国広州の資材製造会社より床材の仕入れを開始。中国に車輌を輸出する条件等を、中国港湾部と協議を開始した。ヨーロッパ発中国向けの商品開発に着手。合併会社設立の検討段階に入る。

石材会社Bohuaと取引開始によって クリスタルストーンを日本市場に展開

出典 :Bohua見本帳

2009

平成21年

2010

平成22年

2011

平成23年

フェラーリ599 GTOは限定生産ユニット599台と少なく、日本市場の正規は僅かしか振り分けされない中、10台以上を入手するも、限定生産による輸入販路リスクを回避。一方、正規未入荷のメルセデスベンツ G280 CDIモデルを導入し、ヒット商品化。

Ferrari 599 GTO

Mercedes-Benz
G280  CDI model

震災と福島原発の影響から「オートプロジェクトD」の新規受注が減少、その分を「ブリリアアセットアンドエステート」がグループ会社として「クリスタルクリエイトグループ」をカバーする計画立案。 南青山プロジェクトをスタート。

平成23年3月:みずほ銀行より100,000,000円の私募債発行

平成23年6月:千葉銀行より100,000,000円の私募債発行

国内大手不動産会社との合同会議にて優良物件情報を入手し、中央区銀座8丁目の土地を取得。銀座8丁目収益ビル建設計画案を実行に移す銀座プロジェクトを開始する。

銀座プロジェクト「クリスタルスクェア銀座2」を着工、基礎工事期間に「ブリリアアセットアンドエステート」はエンド顧客に販売契約を締結。翌年の5月に引き渡しを目指し、ゼネコンと施工計画を推進。

 

民主党政権下で円高がより一層進み、デリバティブは時価でのリスクが大きく膨らんでいく。

東日本大震災の影響により事業計画が大幅に遅れ、「クリスタルスクエア銀座2」の引き渡しはエレベーターが間に合わないまま決行。為替は想定外に円高が進行し、事業計画の見直しをすることとなる。 不動産価格の下落、都内一等地の取得に着手、渋谷区恵比寿代官山駅3分の物件を入札で取得。リノベーションに着手し収益率15%を超えた。キャピタルゲインの時期までインカムゲインを保守、「クリスタルスクエア代官山」を完成させた。

リノベーション前

リノベーション後

千代田区岩本町の物件を取得、同日に移転売却を施しキャピタルを得る。

クリスタルスクエア銀座1の着工に入る。

2010

2012

平成24年

2013

平成25年

2014

平成26年

フェラーリ、ポルシェの限定モデル等世界的プレミアムモデルのオーダーを開始。新たに入手困難モデル調達にチャレンジを進める。

円安基調から商品価格の見直しとフェラーリ・ポルシェの特別限定モデルを専門的に拡張。

フェラーリ、ランボルギーニのオーダーが、新たなルールにより一層困難となる。並行輸入の業態であるクリスタルクリエイトは、現地のサプライヤーに依頼する際(注文時)にデポジットを支払わなければならない。工場出荷時期が未定となるモデルが多くなり、ましてや本国での輸出規制から入荷するまでの期間が大幅に延長される。経理上においては売掛・在庫が膨らみ、売上の達成が長期にわたるという中、輸出サイトの推進をより進めることとした。

クリスタルスクエア銀座1の2Fに東京支社を設置、登記。 新たなチューニングブランド[ARES]のプレスリリースにイタリアから招待される。

image.png

イタリア モデナ を拠点とし、"究極のラグジュアリードライビングエクスペリエンスを提供"すべく設立されたチューニングブランド

南青山プロジェクトの開始と同じくして、代表父親の死去により学校法人を継承。クリスタルクリエイトとブリリアアセットアンアドエステートによる学校法人事業の改革を無償事業として進める。 南青山ショールームは1F〜3Fまでを賃貸で同業他社にリーシングし、収益物件化の方向に決め、月額賃料のインカムは5%強とキャピタルの拡大化を目指す。

クリスタルスクエア銀座1竣工。

ブリリアアセットアンドエステートを中央区銀座8-15-6に移転。

宅地建物取引業者免許更新:東京都知事(2)第88015号

デリバティブ取引による為替損益は過去最大を更新し、取引中6本の解約を検討するも特別損失が巨額になるため収益物件を売却、保全策とする。 南青山プロジェクトが竣工し、新たなショールームが六本木通り沿いにオープンとなる。

2015

平成27年

2016

平成28年

2017

平成29年

2018

平成30年

IPOを目指していた2005年に、小売部門として「オートプロジェクトD株式会社」を分社したが、2015年3月に、実質双子会社であった「オートプロジェクトD株式会社」を「株式会社クリスタルクリエイト」に合併し、「オートプロジェクトD」は販売屋号として事業のスリム化の策定。輸入量を拡大させるも、フェラーリ、ポルシェのニューモデルに関しては、注文から出荷までより一層時間がかかるようになる。特別モデルなどでは出荷後一定期間輸出ができない事で売掛達成率がより鈍化となる。

新たなチューニングブランド「DMC」をリリース。ランボルギーニとフェラーリー用をデリバリー。 フェラーリスペチアーレモデルの「458スペチアーレ(A)アぺルタ」、「ラ・フェラーリ」を受注し、本国のサプライヤーにオーダー。数台を受注していたが納期は全くの未定、しかも輸出をするかなりの障壁があることで、長ければ5年も有することが判明。フェラーリ本社は、ニューヨーク証券取引所に上場したことでシステムが変わり、商案を柔軟に考えなければならなくなった。「フェラーリF12 tdf」も受注するが、オーダーは叶わない。チューニング、カスタムモデルから脱却し、価値の高いモデルへの特化が必須となる。また新車のオーダー納期の問題が深刻化、売掛期間が大幅に延びることや、その間の為替リスクを顧客にもたせることは、営業力の低下となることなどから、経費削減策とより一層のスリム化が必要であることで、収益事業の見直しを推し進める。

オートプロジェクトD株式会社+有限会社オートレボリューション合併。輸入サイトと輸出サイトを50:50に目標設定。

効率化計画の一環として新社屋建設計画及びデッドリストラによる社有地売却と旧社屋モータープール、ワークI、IIの解体計画、スクラップ&ビルドの計画を目指し、2019年の始動を目指す。

安倍政権の進める「アベノミクス」により日銀は大胆な金融緩和を実施。急速な円安を背景にデリバティブ取引を全て解約。

クリスタルスクエア南青山を売却。想定以上のキャピタルを得る。南青山プロジェクトは軟着陸したものの、営業力強化を図るため、より一層の商品開発、限定プレミアムモデルの取得に特化する。

ブリリアアセットアンドエステートによるクリスタルスクエア代官山の売却を決定。キャピタルゲインを得る。 クリスタルクリエイト株式会社により「株式会社ブリリアアセットアンドエステート」を合併。

埼玉県宅建協会埼玉東支部加入

埼玉県知事(1)第23603号

2019

令和元年

デッドリストラによって、旧社屋・モータープール・ワークI、IIの解体の実施を決定。新社屋の設計計画をスタート。中期事業計画作成に基づきウェアーハウス型欧米スタイルを導入。世界的コレクターの指向性の強い投機的な車種を専門的に扱うため、移転後の商案変化を準備する。

ポルシェ911GT3ヴァイザッハ、911GT2ヴァイザッハ、フェラーリ488ピスタ、特別限定モデルを主体的に商品戦略とする。

2020

2020

令和2年

新社屋を竣工、完成。次世代型輸出入専門的スタイルを実施。

ポルシェ718スパイダー、911GT3、フェラーリ812スーパーファスト、フェラーリ812 NOVITEC N-Largo Sといった、入手困難モデルの複数台注文を達成。

image.png

ウェアーハウス型 欧米スタイルを導入した 新生社屋・ファクトリー

2021

令和3年

希少性の価値の高いモデル、高評価による買取りを強化。一般的な査定ではわかりにくいレアなモデルの価値を理解し、その価値を価格に反映。査定から最短で資金化。

2022

令和4年

貿易業を主力とする事業計画を推進。輸出事業の強化、円安への備えとして戦略的輸出事業へ邁進。 ホームページのリニューアル、オートプロジェクトDの広告をSNSで試験的に開始。

2023

令和5年

2024

令和6年

2-channel exportingのスタート

Div.1
【買取り事業】

円安進行を追い風に、輸出事業に特化。北米、ヨーロッパのインポーターとのパイプを強化。

Div.2
【市場調査マーケティング事業】

北米を拠点に北米・ヨーロッパ・オセアニアの市場調査、開拓準備。 ディテイリング事業の起動開始。ドライアイスクリーナー専用ディテイリング機器を導入、実験的にスタート。マーケティング事業からデータファイル化をスタート。市場のニーズを満たすサービスの開始準備。2チャンネルエクスポート事業をスタート。

image.png
image.png

スペシャリストによる全国出張査定を実施、高額査定をコミットする。ワールドワイドなコネクションを駆使し責任を持って次のユーザーへバトンを渡すというプロセスを遂行。

全世界のオークションリサーチマーケティング〜出品までの準備が、価値を創出し、最高価格へとチャレンジすることの意味を解説し、国別の嗜好性や価値観の違いを見極め、世界それぞれの国へのアプローチを開始するため、プレミアム自動車オークションのコンサルティング事業を開始。

© Copyright

Go To TOP

bottom of page